可能性を信じて接する。
例えば、家の中で遊んでいたら、勢いづいて窓を割ってしまった子がいるとします。
そんなときに、「あなたはダメな子」とか「悪い子」とか言ったら、怒られているほうは困ってしまうよね。悪気はなかったのに。
人格を否定されても、次からどうすればいいかわからないからどうしようもないものね。
例えば、ここではこういう遊びをしてはいけないとか、窓ガラスを割らないように気をつけようとか、具体的な行動を変えるよう指摘したら、次の行動につなげることができるけれど、人格を否定されてもどこをどう変えればいいのかわからないものね。
***
例え悪気があって行った行動にしても、人格を決め付けたらだめだと思うんだよね。
例えば、本人は悪いことと知りながら、スリルを味わいたいとか、暇つぶしの目的で万引きをした子がいるとします。
それでも、注意をするときに相手の人格を否定するようなことを言わないほうがいいんだよね。
バカとかクズとか言っても、なにも変わらないし、言われたほうも、「そうか、僕はバカでクズなんだ。」と思って、ますますクズがするような行動をしがちになるからね。
具体的な行動を指摘するべきなんだよね。
万引きをしてはいけないとか、なんで万引きをしてはいけないのかという理由を説明するべきなんだよね。
そして、万引きをしてしまった原因を考えて、それを解決するための道を探るべきなんだよね。
つまり、失敗したり悪いことをしても、相手の可能性を見捨てないほうがいいんだよね。
相手を見捨てずに、相手の変化を信じて、粘り強く接するべきなんだよね。
相手の可能性を信じないで、相手を見捨てて、頭ごなしに否定しても、相手は恨みや怒りを持つだけだものね。
***
人に対する姿勢や声かけは、そのまま自分に対する姿勢や声かけにつながります。
例えば、相手の人格を否定するようなことばかりを言っている人は、自分がなにか失敗をしてしまったり、思うようにいかない結果をだしてしまったときに、自分自身に対しても人格を否定するような声かけをしてしまいます。「自分はだめな人間だ」とか「自分はクズだ」とかね。
自分で自分をダメ人間と決めつけ続けていたら、いつまでも自分に対していつまでも自信をもつことができないよね。
だから、自分に対しても人に対しても、変化の可能性を信じて、可能性を開こうとする気持ちを持つほうがいいんだよね。
読んでくれてありがとさん!!
答えです。探してくれてありがとさん!!加工前の写真は渦クマさんのを使わせていただきました!!