超訳「愛するということ」

写真の中にブイチが隠れているから探してみてね!!答えは本文のしたに載せました!

写真の中にブイチが隠れているから探してみてね!!答えは本文のしたに載せました!

 

「愛するということ」という本を読みました。

 

 

 

冷静かつ現実的な視点で「愛」を分析した本で、間違いなく名著です。だけど、ちょっと難しいんだよね。

なので、本のなかからいくつか抜粋して、ブイチの独断と偏見でわかりやすく訳してみました。

わかりやすさを追求したので、原文通りではないし、原文が伝えたい真意とはずれているかもしれないけど、そこは許してね。

 

 

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この小さな本は、愛は技術であるという前提の上に立っています。

つまり、努力次第でだれでも身につけられるもの という前提の上にたってるんだよね。

愛は運命的なものとか、崇高なものとかいって神棚の上にあげるのではなく、愛は技術だといいきることで、身近でだれでも身につけられるものだといいきってるんだよね。

 

自虐的な人(マゾヒスト)が支配的な人に依存するように、支配的な人(サディスト)も自虐的な人に依存しています。

相手から攻撃されたり、相手を支配することで、つながりを感じたいんだよね。

自虐的な人にも、支配的な人にも共通しているのは、自分を受け入れてもらいたいという強烈な欲望です。多くの場合親から、「自分を受け入れてもらえなかった」「大切にしてもらえなかった」という心の傷や怒りが、「自分を絶対受け入れて欲しい!!」という強烈な欲望を生み出します。そして、自虐的な行動だったり、支配的な行動に駆り立てられるんだよね。

だけど、いくら自虐的になったり、人を支配しても、「受け入れてもらいたい」という欲望は満たされないんだよね。

愛情深い人は、与える行為を通じて与えられ、自分の存在を愛し、愛されます。与えることが与えられることだというのは、別に愛に限った話ではありません。例えば、教師は生徒に教えられ、俳優は観客によって感化され、精神分析医は患者によって癒されます。

 

もしある女性が花を好きだといっても、彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、私たちは花に対する彼女の「愛」を信じることができなくなります。愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることです。

 

母親の愛情は無条件で、母親に愛されるためにしなければならないことといったら、生きていることくらいです。母親の愛は至福で平安で、わざわざ獲得する必要はなく、受けるための資格もありません。

(中略)長所があるから愛されるとか、愛される価値があるから愛されるという場合はつねに不安がのこります。ひょっとしたら自分は、愛してもらいたい相手の気に入らなかったのではないか、愛が消えてしまうのではないかという恐怖が絶えずつきまといます。しかも、愛されるに値するから愛されるといった類の愛は、「ありのままの私が愛されているわけではないのだ」「要するに私は愛されているのではなく、利用されているのだ」といった苦い思いを生みます。だから子どもも大人も母性愛への憧れを捨てきれないのは不思議ではありません。

(中略)母性愛への渇望が宗教的な形をとることもあれば、神経症的な形をとることもあります。

 

子どもは必ず成長し、いつかは完全に独立した人間になります。母性愛の本質は子どもの成長を気づかうことであり、これはつまり子どもが自分から離れてゆくのを望むということです。

(中略)多くの母親が母性愛という勤めに失敗するのもこの時期です。ナルシズム傾向の強い母親、支配欲の強い母親が「愛情深い」母親でいられるのは、子どもが小さいうちだけです。本当に愛情深い女性、すなわち取るよりも与えることにより大きな幸せを感じ、自分の存在にしっかり根をおろしている女性だけが、子どもが離れてゆく段階になっても愛情深い母親でいられます。

 

利己主義と自己愛は、同じどころか、まったく正反対です。利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛しすぎないのです。

自己愛、つまり自分を愛するとは「自分の可能性を開くこと」です。それによって自分の存在や人生を愛することです。自分の欲望を満たしたいだけ満たすこととは違います。

例えば、自分が食べたいだけ食べて、寝たいだけ寝て、一日中食って寝ての生活をし続けて人生を全うしても、充実した人生を自分に与えたとはいえないよね。

 

 

他にもいろいろと書いてありました。興味のある人は読んでみてくださいな。

読んでくれてありがとさん!!

 

 

 

 

 

こけとのうぜんかぐら 答え

答えです。探してくれてありがとさん!!加工前の写真はmaruSAさんのを使わせていただきました!!