超訳「ナルシズムの時代」
ナルシシズムの時代 (1981年)という本を読みました。
全ての内容に納得できたわけではないけれども、「ナルシスト」はその奥に、自分に対する自信のなさを抱えていること、現在の社会状況に影響されて生み出された現象であることなど、かなり鋭い分析も含まれていました。
いつものとおり、超訳します。原文どおりではないところもあるけれど、そこは許してね。
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現在の社会では、なにかものが必要になっても、自分ではなに一つつくれない。保育士などの専門家がいなければ、自分の子も育てられない。
このように、他に頼りきっているという社会状況が心理の面にあらわれたのが、ナルシズムなのである。ナルシストは自分が全能だという幻想にとらわれているくせに、その実、自分の自尊心を確認するのにも他に頼らなければならない。家族の絆や制度の抑圧からは自由になったが、だからといって、自分ひとりの足でたち、個人として自分を誇るようにはなれなかった。
自分が社会に依存しているという感覚。自分一人だけでは生きられないという感覚、自信のなさ、不安をおおい隠すためにうまれたのが、ナルシズムなのかもね。
つまり、ナルシストは自分に自信があるのではなく、逆で自分に自信がないから、あえて強気な態度をとっているのかもしれないね。
自分が社会に頼りきっているという感覚は、自分に対する自信のなさをうみだすと同時に、社会のなかでの自分の立ち居地を強く意識させます。
つまり、「社会や人から自分がどう評価されているか」を強く意識せざるを得ないんだよね。自分は社会に強く依存しているのだから。もちろん、そういう感覚は昔も今も変わらずあったけれど、社会に対する依存度が強くなった現在のほうが、その感覚が強くなったという考え方もあります。
ナルシストは自分に自信がない。ぐらつく自己につっかい棒をするため、注目してもらおう、喝采したり同情してもらおうとして、他者をひきつけようとする。
ナルシストは親密な関わりあいをさけて通る。
ナルシストは、自分に対する自信のなさや不安感をもっているくせに、それを見せようとしません。自分は全能だと思いこむし、周囲にもそう見せて、賞賛されようと、ひきつけようとします。
だから、親密な関係になって、そういう自分の情けないところがポロっと抜け落ちてしまったときに、相手から幻滅されるのが嫌なのかもね。
アイドルのように、ステージのうえで輝いている自分の姿だけを見せたくて、それ以外の部分を見せたくないのかもね。
そういうものを見せることで、自分に対する評価が落ちることが怖いから。
ナルシストは人から賞賛されることを望んでいる。だが、自分を賞賛してくれるような人間のことを軽蔑してしまう。
だから、社会的に成功しても、大して満足を得られない。
ナルシストは自分に自信がなく、多くの場合自分のことを好きではありません。
なので、好きではない自分のことを賞賛してくれる人のことを軽蔑してしまうし、本来の自分を見てもらえていないという孤独感を余計つのらせてしまうことになります。
ナルシストは自分の自信のなさ、自分が空っぽで中身がないという感覚をもっていて、それを克服しようとしてもがいています。
逆接的だけれど、関心を自分にむけるのではなくて、周囲に向けることで健康的になれると思うんだよね。
自分を超えて、周囲を良くしようとしたり、すばらしいものを創造しようと一生懸命になることで、自分のなかの空っぽな感覚を忘れることができるし、そうすることで周囲の人や社会ともすばらしいつながりをつくることができるから、ぐらつく不安を克服できると思うんだよね。
読んでくれてありがとさん!!