超訳「人を動かす」

「人を動かす」という本を読みました。

 


 

人と円滑にコミュニケーションをとり、ものごとを良く進めるためのテクニックがいろいろと書かれてあります。

実はこの本はブイチが学生時代にすでに読んだことがあります。久しぶりに読んであらためて感じたのは、「どういう気持ちで相手に接するかが大事」だということです。

例えばこの本には、「相手をほめる」というテクニックが紹介されてあります。それによって、円滑にコミュニケーションが取れるようになれると紹介されています。

ただ、同じ「ほめる」という動作でも、「相手を操作する」という気持ちでほめるのと「相手に自信をもっていただいて、相手の可能性を開く」という気持ちでほめるのでは、やっぱり違うと思うんだよね。

ほめられた相手も、何の目的で自分はほめられたのか、敏感に感じ取ります。自分を操作しようとしてほめられたんだと感じたら、やっぱりむっとしてしまいがちだよね。逆に、自信をもってもらいたいという気持ちでほめられたんだと感じたら、嬉しい気持ちになれるよね。

この本に書かれてあるテクニックを、「人を操作する」という気持ちで使うのではなくて、「人の可能性を開く」という目的で使うのであれば、人といい関係をつくれるとブイチは思います。

今回も超訳です。原文どおりではないところもあるけど、そこは許してね。

 

 

 

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死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛らつに批評してさえおればよろしい。その批評があたっているほど効果はてきめんだ。

 

人を非難するかわりに、相手を理解するようにつとめようではないか。どういうわけで相手がそんなこをしでかすにいたったか、よく考えてみようでないか。

 

有名人が自信をもつために苦労した興味ある例はいたるところに見受けられる。ジョージ・ワシントンでさえ、合衆国大統領閣下と呼んでもらいたがった。

 

他人の同情と注意をひいて自信をもちたいために病気をする人もときにはある。

 

わたしはこれまでに世界各国の大勢の立派な人々と付き合ってきたが、どんなに地位の高い人でも小言を言われて働くときよりもほめられて働くときのほうが、仕事に熱がこもり、出来具合もよくなる。例外にはまだ一度もであったことがない。

 

デトロイトのある学校の先生が、授業中に逃げた実験用のねずみを、スティービー・もリスという少年にたのんでさがしだしてもらった。

この先生がスティービーにそれを頼んだのは、彼が目は不自由だが、そのかわりにすばらしく鋭敏な耳を天から与えられていることを知っていたからである。すばらしい耳の持ち主だと認められたのは、スティービーとしてはうまれて初めてのことだった。スティービーの言葉によれば「自分のもつ能力を先生が認めてくれたそのときに新しい人生が始まった」。それ以来、彼は天から与えられたすばらしい聴力を生かして、ついには「スティービー・ワンダー」の名で1970年代の有名な歌手となったのである。

 

どんな人間でも、何かの点で私よりすぐれている。私のまなぶべきものを持っているという点で。

 

人を動かす唯一の方法は、その人の好むものを問題にし、それを手に入れる方法を教えてやることだ。

 

人を説得して何かをやらせようと思えば、口を開くまえにまず自分にたずねてみることだ。「どうすれば、そうしたくなる気持ちを相手に起こさせることができるか」と。

まず相手の心のなかに強い欲求を起こさせること。これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、一人の支持者を得ることにも失敗する。

 

 

議論に勝つ最善の方法は、この世にただ一つしかないという結論に達した。その方法とは、議論をさけることだった。毒蛇をさけるように議論を避けるのだ。

 

私は、人の意見を断定的に述べないことにした。決定的な意見を意味するような言葉、例えば確かに とか疑いなく、などということばは一切使わず、その代わりに「自分としてはこう思うのだが」とか「私にはそう思えるのだが…」という具合に切り出すことにした。こうするとずいぶんと利益があがった。

 

話し上手な人は、まず相手に何度もイエスといわせておく。すると、相手の心理は肯定的な方向へ動き始める。

 

敵をつくりたければ、友に勝つがいい。味方をつくりたければ、友に勝たせるがいい。

 

人から押し付けられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうをわれわれははるかに大切にするものである。すると、人に自分の意見をおしつけようとするのは、そもそも間違いだといえる。客観的なデータを与えて、結論は相手にださせるほうが、よほど利口だ。

 

口論やネガティブな感情を消滅させ、相手に善意をもたせて、あなたのいうことをおとなしく聞かせる魔法の文句を披露しよう。

「あなたがそう思うのは、もっともです。もしわたしがあなただったら、やはり、そう思うでしょう。」こういって話を始めるのだ。

 

彼女はオウエン・ヤングの伝記を書いているとき、ヤングと3年間同じ事務所に勤めていたという男に会って、ヤングのことをいろいろ聞いたという。それによると、ヤングは誰に向かっても決して命令的なことはいわなかったそうだ。命令でなく、相手の意見を聞いた。「こう考えたらどうだろう」「これでうまくいくだろうか」「これでどう思うかな」「ここのところはこういう言い方をすればもっとよくなるかもしれないが、どうだろう」と。

 

あるとき、ゼネラル・エレクトリック社は、チャールズ・スタインメッツ部長の異動という微妙な問題にぶつかった。スタインメッツは電気にかけては一流の人物だが、企画部長としては不適任だった。会社としては彼の感情を害したくなかった。事実、彼は必要欠くべからざる人物だが、非常に神経質な男だった。そこで、会社は新しい職名を設けて彼をその職に任命した。「ゼネラル・エレクトリック会社顧問技師」というのがその職名である。といっても仕事は別にかわらない。そして部長には別な男をすえた。

スタインメッツは喜んだ。

重役たちも喜んだ。あれほどの気むずかし家を顔を立てることによって無事に動かしおえたのだ。

 

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