超訳「アサーショントレーニング」

アサーショントレーニングという本を読みました。

 

人とのコミュニケーションについて書かれた本です。この本で書かれていた、人との接するうえでの基本的な考え方は「尊重」です。

自分と相手の権利や自由や存在を尊重すること、また、日ごろから関係を「メンテナンス」することでより良いコミュニケーションができるんだよね。

今回も超訳です。お付き合いください。

 

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アサーションとは、自分も相手も大切にしながら、意見や考え、気持ちを率直に、正直に、その場にふさわしく表現することです。

 

非主張とは、自分の気持ちや考えを表現しなかったり、しそこなったりすることで、自分から自分の言論の自由や人権を踏みにじっているような言動をいいます。これには、自分の気持ちや考えを言わないだけではなく、あいまにな言い方をしたり、言い訳がましくいったり、他人に無視されやすい消極的な態度や小さな声で言うことも含まれます。このような言い方は、一見、相手を立てているようだったり、相手に配慮しているようにみられますが、自分の気持ちに不正直で、もちろん、相手に対しても素直ではありません。非主張的な言動をしているときは、相手にゆずってあげているように見えながら、自信がなく、不安が強く、それを隠して卑屈な気持ちになっていることが多いものです。

攻撃的とは、たんに暴力的に相手を責めたり、大声で怒鳴ったりするだけではなく、相手の気持ちや欲求を無視して、自分勝手な行動をとったり、巧妙に自分の要求を相手に押し付けたり、相手を操作して自分の思い通りに動かそうとしたりすることをいいます。もちろん、不当な非難、侮辱、皮肉、八つ当たりなどもふくまれます。また、雑談や何気ない会話をしているときの「ダメ押し」や「一言多い発言」も、自分の優位を示すための攻撃的な主張となることがあります。

 

<アサーティブ>とは、自分も相手も大切にした自己表現です。アサーティブな人は自分の人権のためには自ら立ち上がろうとしますが、同時に相手の人権と自由を尊重しようとします。アサーティブな発言では、自分の気持ち、考え、信念などが正直に、率直に、その場にふさわしい方法で表現されます。そして、相手が同じように発言することを奨励します。

その結果として、互いの意見が葛藤をおこすこともありうると考えます。つまり、互いに率直に話をすれば、自分の意見に相手が同意しないこともあるし、また、相手の意見に自分が賛同できるとは限らないのです。

葛藤がおこったときは、すぐさま折れて相手にゆずったり、相手を自分に同意させようとするのではなく、面倒がらずに互いの意見をだしあって、ゆずったり、ゆずられたりしながら、双方にとって納得のいく結論を出そうとするのです。

 

アサーションは自分も相手も大切にするコミュニケーションですから、「話す」と「聴く」の相互交流、相互作用が含まれています。つまり、互いに率直に、素直に、正直に自分の気持ちや考えを伝え合い、聞きあうという意味があります。

 

全般的に非主張的な人は、自己否定的で、自尊心が低く、いつも不安で緊張に満ちた生活を送っています。ストレスの多い生活は固い表情や正規のない笑顔、浅くはやい息づかいをまねきます。

全般的に攻撃的な人は、一見、自信がありそうで、状況をうまくつかんでバリバリものごとを進めているように見えます。このような人は、人の意見や考えを軽視して会話を独占し、無意識のうちに自分の意見がいつも結論になるように話をすすめます。人を傷つけても無頓着なので、多くの人に敬遠されたり、嫌われたりします。

人に対して優位な状態でいないと安心できないので、人の批判や反応をひどく気にし、きわめて敏感です。ちょっとした反応でも、排除されそうな雰囲気を感じると、落ち着きを失い、イライラして、周囲の人に怒鳴り散らしたりします。権威的で、自分の命令に従わせたい父親が、無視されたり、軽視されたりすると、突然怒りを爆発させるなどはこの例です。全般的に攻撃的な人は孤立しやすく、いつも愛情飢餓に陥っています。そして、人をつなぎとめておくために、さらに命令的に相手を自分に引き寄せようとするのです。

全般的に非主張的な人も全般的に攻撃的な人も、表現方法はまったく違って見えますが、心の奥では同じ不安定な気持ちを味わっているでしょう。つまり、対人恐怖の人や人から恐れられる暴君は、表面的な平静さや強がりの裏には、不安、緊張、孤独感などの隠された気持ちがあり、常に気をはっていなければならず、心が落ち着く余裕がありません。また、そのような気持ちの不安からくる「こころの疲れ」や自己嫌悪の気持ち、投げやりな気持ちなどにさいなまれることもあります。

このように他者との生活全般にわたって緊張を強いられている人は、まず、そこから抜け出す手立てや、自分を好きになる援助が必要です。つまり、不安や緊張、心の疲れなどを安心して出せる人のもとで、ありのままの自分を見つめること、引っ込み思案にならなくてもよいことや強引にならなくても人は耳を貸してくれることを理解できるように助けてもらう必要があります。

 

他者の思いにあわせて、自分の希望や欲求を抑え、禁止されることの多い生活を送ることになるのは、無数の不合理な考え方に縛られているからにほかなりません。

 

多くの対人スキルは、子ども時代に身につきますので、子どもをとりまく親やおとなの言動が大きく影響します。例えば一人っ子とか友だちと遊ばない子どもは、観察学習の機会がないため、社会性が育たず、特に社交的な場面でのやりとりが下手になりがちです。

 

アサーティブでない人を見ていると、自信がなさそうでしかも自分勝手な判断基準で行動していることがわかります。非主張的な人は「断ることはよくない」「迷惑かけてはならない」と自分で決めこんでいます。逆に攻撃的な人は「やっていいに決まっている」とこれまた自分本位の思い込みで相手を押さえます。

どちらも知らぬ間に、自他の権利を侵しているのです。

 

アサーションとは、「自分の権利のために立ち上がり、同時に相手の権利も考慮する自己表現」と述べましたが、これを言いかえれば、「自他の権利を侵さない限り、自己表現をしてもよい」という意味になります。

私たちは、だれでも欲求をもってよいし、その欲求は他の人の欲求と同じくらい大切にしてほしいと思ってよいのです。

 

あなたは自分自身についての最終的判断権をもっています。あなたは、自分がどんなふうに感じ、どう考え、どんな行動をとるかについて決めたり、判断したりしてよいのであり、その結果について、責任を取ることができるのです。わかりやすくするために少し極端な言い方をすれば、他人がどう思おうと、あなたの感じ方や考え方はあなたのものであり、他人と同じ感じ方や考え方をしなければならないということはありません。

 

自分で決めて、行動をしておきながら、それが相手の希望をかなえることであったりする場合、相手のせいでそうなったと考えるとするならば、それは自分の決定権、判断権を放棄しているのであり、自分の決めたことを他者の責任にしようとする操作的で甘えた生き方です。

 

アサーションの会話は、関係をつくり、維持する「メンテナンス」のアサーションと、課題を解決したり提案をする「タスク」のアサーションがあります。

私は日常会話におけるアサーションを「メンテナンス」のアサーションとよんで、人間が生きていくための基礎的なやりとりだと考えています。これは主として人間関係をつくり、維持することです。人々が関係を維持し、促進するうえで欠くことができない言葉かけには、挨拶と感謝、承認や気づかいの言葉がけなどがあります。ありがとうが言えない人、人を認めることができない人は、人間関係の鍵を失っているのかもしれません。

 

何気なく、滑らかにメンテナンスの言葉がけができている家庭や学校、職場の人間関係では、親密さやぬくもりが伝わっているので、葛藤や問題は解決されやすいでしょう。

 

提案をする前に客観的な状況の説明や、それにともなう主観的な感想をして、提案のあとにそれが受け入れられた場合とそうでなかった場合の説明をするといいでしょう。

 

話がうまい人は、自分を相手に知らせることに躊躇がないのはもちろんのこと、それに加えてただでも情報をだし、おまけを付け加えるのが上手です。

 

読んでくれてありがとさん!!

 

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