寂しさをまぎらわせようとして、悪口を言わない。

「敵の敵は味方」という言葉をきいたことがあるかな?

例えば、A国とB国が戦争をしているとします。

そして、B国とC国はずっと昔から仲が悪いとします。

この場合、A国とC国は、B国という共通の敵がいるので、仲がよくなります。場合によっては同盟をむすぶこともあります。

人にしろ国にしろ、共通の敵がいる場合、仲がよくなりやすいんだよね。

だけど、そのつながりは打算によるつながりだし、一時的なものなので長続きしません。

 

 

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「敵の敵は味方」の法則を悪用して、自分の寂しさや孤立感を一時的にまぎらわせることができます。

例えば、「○○人は礼儀知らず」というふうに、特定の人や団体を攻撃することを言うと、仲間ができたりします。普段から○○人のことを嫌いな人たちがすりよってきます。

昔のドイツの指導者のヒットラーは、ユダヤ人というドイツの中での社会的弱者をいじめることで勢力を拡大していきました。

演説のときに、ユダヤ人に対する怒りを爆発させる彼の姿は、勇敢な印象を人々に与えました。

けど、そんなの勇気でも男気でもありません。本当の勇気や男気は、もっと地味です。

誰かを差別したり攻撃したりして得られるつながりなんて、もろいし長続きしません。

差別をもとにつながる人たちが集まったときにする話題は、当たり前だけれど「差別」です。

つまり、悪口です。

集まるたびにだれかの悪口を言っていると、だんだんとうんざりしてきます。

そして、そのうち、自分が悪口を言われるほうにまわるんじゃないかと考えて、怖くなります。

そりゃそうだよね。仲間はみんな、悪口が大好きな人たちなんだからさ。

いつか自分が悪口を言われて、差別されて、攻撃されるんじゃないかと考えてしまうよね。

そして、「やられるまえに、やる」と考える人たちがでてきます。

つまり、仲間のだれかを名指しして、「実はあいつは○○人だ」とか「あいつは○○人とつきあってる。この前一緒に歩いているところをみた」とか言い始めます。

または、○○人に対するより過激で差別的な発言を行って、自分がいじめられたり、攻撃されたりしないように立ち回ったりします。

いじめられるまえに、いじめる側にまわるんだよね。

 

 

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だれかを差別したりいじめたりすることで、一時的に仲間を得られたとしても、そういう人たちはほっといたら時間とともに去っていきます。

そして自分の周りから人をさらせないためにどうするかというと、結局のところ彼らがするのは差別です。自分の寂しさをまぎらわせるために、差別的な発言を繰り返して、繰り返して、繰り返して、収集のつかないところまでいって、自暴自棄になります。

どんなに差別的な発言を繰り返しても、悪口仲間が増えるだけです。

心を許せる友達なんてできないし、寂しさは埋まらないんだよね。

「類は友を呼ぶ」という言葉があります。

悪口を言っている間は、悪口を言う人たちが集まるので、心を許せる友達はできません。

悪口仲間から卒業して、心を許せる友達を得るためには、悪口を言ったり、差別をしたり、いじめたりしないことです。自分が人間的に良い人になったら、自然と良い友達ができるようになるよ。

 

読んでくれてありがとさん!!