超訳「最前線のリーダーシップ」

最前線のリーダーシップという本を読みました。

「リーダーとは孤独である」という神話が一般的に信じられがちだけれども、この本では、孤独になりやすかったり、攻撃されやすいポジションであるリーダーが、いかにして目標を達成しつつ、生き残るかが書いてあります。今回も超訳です。お楽しみください。

 

<人は、失うことに対して抵抗をする>

人は変化それ自体に抵抗するのではない。本質的には、人はなにかを失うことに対して抵抗するのだ。

 

 

<一点に集中する>

キング牧師が公民権運動からベトナム戦争へ関心を映したことは、ひどい結末につながった。最も重要な支持層だった南部のアフリカ系アメリカ人たちが、彼から離れてしまったのだ。

キング牧師は、アメリカ国内で根深かった人種差別と闘った人物です。彼は人種差別と闘う途中で、ベトナム戦争にも言及するようになりました。

リーダーにとって、複数のテーマを追求することは難しいのかもね。二兎を追うもの意っとも得ずというけれども。一度にたくさんの目標を達成するのではなく、一つの目標に対して全力投球をするのがいいのかもしれないね。

 

 

<攻撃に対して、個人的に受け止めない>

故意のレッテル張りと個人攻撃に個人的に反応してしまったことで、マスキーはまんまと敵方の罠にはまり、本当に議論するべき政治課題から人々の関心をそらせてしまったのである。

リーダーにとっては、自分がエネルギーを注ぐべき課題を間違えてはいけないのかもね。自分への個人攻撃に多くのエネルギーを割くのではなく、達成するべき目標にエネルギーを割きたいね。

役割を自己と区別することの重要性を過小評価してはいけない。人々があなたを個人的に攻撃するとき、その反射的な反応は、それを個人的に受け取ることである。個人攻撃の最中にバルコニー席に上がって何が起こっているかを冷静に解釈し、自分の放ったメッセージが人々にどのようなストレスを与えているかを理解することは、大変難しい。

皮肉にも、クリントン夫妻とそのコンサルタントたちがすばやく効果的に防御したことを自負していたのとは裏腹に、彼らへの人格攻撃に対する防御は逆効果だった。攻撃側がホワイトハウスから守りの反応を引き出すたびに、一般市民の注目はその問題に集中した。クリントン側が(文書を留保したり、法的な主張をつくり上げたり、法律用語を使ったり、うそをつくなどして)守りにまわればまわるほど、攻撃側の勢いが激しさを増したのだ。

文字どおりの人格攻撃に対して防御的に反応すると、その人格に関する議論が焦点になり、真に重要な問題から注意をそらしたいという攻撃側の意図に手を貸すことになってしまう。このような作業の回避は、人が個人攻撃を個人的に受け止めてしまうことが多いという単純な理由から、往々にしてよく起こる。

 

 

<周囲のストレスの受け具合に共感し、コントロールする>

権威ある立場にいる人なら皆がそうするように、州知事は政府内外のあらゆる利害関係者に対して反応していた。そして彼女が組織内にもたらした騒ぎに対する反応として、州知事は彼女から距離を置いたのである。彼はポーラの改革に反対はしたくなかったが、同時に公安局の怒りをおさめなければならないというプレッシャーを感じていたのだ。

適応のためのストレスがたまり始めたとき、人々は権限のある立場の人間に対して、そのストレスの根源となる問題を解決するようにプレッシャーをかける。その結果、権威者の行動は、組織全体が感じている苦痛のレベルと、その組織が平衡状態を取り戻そうとするときの慣習的なやり方を知るための重要なカギとなる。

築き上げられた社会的関係すべてには限界がある。そのため、地域社会や組織におけるリーダーシップにとって重要なのは、組織のストレスを生産的なレベルに保つことである。衝突を管理し、そのなかにあって自分の安全を守るために、グループが「熱気」をどこまで許容できるか、監視しなければならない。

組織に大きな変革をもたらそうとしている場合、「熱気」をコントロールする必要がでてくる。これには、二つの任務が伴う。一つ目は、人が腰を上げ、耳を傾け、降りかかる脅威や挑戦に立ち向かうレベルまで熱気を盛り上げることだ。ある程度の苦痛がなければ、人々は何かを変えようとはしない。

二つ目は、非建設的な緊張を抑える必要があるときに、熱気を下げることだ。どんなグループにも、受け入れられるプレッシャーには限界があるため、それがまったく動かなくなるかコントロールが効かなくなるまで放っておいてはならない。

熱けりゃいいってものではないんだよね。

 建設的に熱気と緊迫感を高める方法は二つある。一つは、難しい問題に目を向けさせ、そこに人々を集中させることである。もう一つは、その問題に取り組むことに重要性、責任の重さを人々に感じてもらうことである。

 

 

<何度でも、「バルコニー」に上がり、行動を修正する。>

リーダーシップは即興芸術である。包括的なビジョンや明確な価値観、戦略的プランがあったとしても、その瞬間瞬間でとるべき行動を前もって原稿にすることはできない。効果的なリーダーシップのためには、目の前で起こっていることにうまく対処しなければならないのだ。

そして、いろいろな場面で最適な選択を行うためには、しっかりと自分の行動の軸を定める必要があると思います。自分はなにを達成しようとしているのか、という、自分の目標や目的をしっかりと定める必要があると思うんだよね。

バルコニーとは、自分の行動を振り返る場所のことです。ダンスホールのなかで踊っているときは、自分がどういうふうに踊っているかわからないけれど、バルコニーに上がったら、自分の様子をよく見ることができるよね。

自分を見つめなおす場所を持つことで、リーダーシップを適切にとることができると思うんだよね。

 

<孤独なリーダーとならずに、協力者を得る>

正しいパートナーを見つけるのは難しい。協力して課題に取り組むことは、自主性をある程度あきらめることであり、それが双方に、協力することを躊躇させるのだ。また、信頼関係を築くには時間がかかり、対立を超えて前に進む忍耐強さが必要になる。しかし、だれかと一緒にとりくまなければ、あなたの努力は大きな危険を招くことだろう。

リーダーとは孤独な戦士なのだという神話を信じることは、英雄の気分には浸れるかもしれないが、確実に自滅につながる。独創的なアイデアを持っていたり、責任者としての最終決定の負担がのしかかっていたりするとき、あなたは一人だと感じるかもしれない。しかし、一人で動くことに執着すると、問題を引き起こすことになるだろう。パートナーは絶対に必要なのだ。組織や地域社会が適応のプレッシャーに直面し反応しているとき、政治的に複雑な状況に一人で対処することなど、どんなに優秀な人でも不可能だ。

二人はまた、もう一つ本質的な点をよく承知していた。変えることがもっとも困難なグループのなかにいるパートナーこそが、最も重要な役割をもたらすということだ。

自分とあまり意見があわない人のなかにも協力者をつくる必要があるんだよね。

会議に出席したら、実は自分を外した「事前打ち合わせ」が開かれていたと気づいたことはないだろうか。この事前打ち合わせによって、出席者は本番の会議での意見衝突を最小限にし、共同戦線をつくり、あなたを孤立させようとするのだ。

物事を一人で進めるのは間違っている。あなたも事前打ち合わせのような周到な準備をすることで、自分自身と自分のアイデアを生き延びさせる可能性を高めることができる。次の会議では、あなたが事前に電話をかけ、関係者の動向を調べ、アプローチを練り直し、支持者を確保するのだ。

 

 

<時に最前線に立ち、周囲の勇気を奮い立たせる>

エイブラムは仕方なく、ある決断をした。CEOを辞めて、事故が起こったその作業ラインで自ら仕事を始めたのだ。従業員は少しずつ戻り、生産性も徐々に上向き始めた。会社は最終的に、危機を脱した。10年後、会社はイスラエルでも最大規模の企業の一つとなり、事故の前よりも大きな利益を生むようになった。

このCEOは、彼が従業員に求めたことが自分にとっては安全に見えても、彼らにとって危険だったことに気づいたのだ。彼と従業員は現実を異なる形で見ていたため、エイブラムは最初は、自分の要求していることの重大さを察することができなかった。科学者としての公平な視点から、工場は安全になったと確信していたが、どんなに多くの論理や証拠をもってしても、従業員の恐怖を軽減させることはできなかった。

たとえ従業員の心配は根拠がないと信じていたとしても、彼は従業員が引き受けるリスクの重さをただしく認識していることを示さなければならなかった。さらに、自分が人々に喪失を受け入れるように求めていること、つまり、人々が安全な職場で働けるという安心感を失うことを認識しなければならなかった。従業員の恐怖は深刻だったため、言葉だけでは不十分であり、自らモデルとなって行動する必要があったのだ。

大きな事故が起こった工場で、従業員は事故が解決し安全性が確保されたあとも工場に戻ろうとしませんでした。そのとき組織のリーダーは、工場が安全であることを身をもって示すため、自ら率先して工場のラインで働きました。工場で働く人の気持ちに共感することが大事なんだと思うんだよね。

 

 

<犠牲者を出す覚悟を持つ。>

もし人々が変化に適応できなかったら、取り残されることになる。そして犠牲者となる。これは組織やコミュニティが大きな変革を経験するときには、事実上、避けられない。適応できないか、一緒に進もうとしない人々は必ずいる。あなたは、彼らを守り続けるか、彼らを犠牲にしても前進するかを選ばなければならない。犠牲者を出すことに耐えきれないほどの苦しみを覚える人々にとっては、このようなリーダーシップは大変なジレンマである。しかし、これはリーダーの仕事の一つなのだ。

犠牲者をだすことを受け入れるかどうかは、あなたが本気で取り組もうとしているかどうかを示すシグナルとなる。もしあなたが犠牲を出したくないというシグナルを発するのであれば、それは態度を決めかねている人々に対して、あなたの取り組みは無視してもらって結構と言っているようなものだ。

 

 

<ビジョンを人々が想像できるように、具体的に提示する。>

変化を進めていくとき、自分が衝突の避雷針となって攻撃を受けないようにするため、展望を具体的に示し、人々に何の価値のために戦っているのかを思い出させ、将来がどのようなものであるかを見せることが重要である。あらゆるやり方で人々の「なぜ」という質問に答えることで、よりよい場所に行き着くまでの困難に耐えようという人々の意志を強めるのだ。

これはまさに、後に有名となった1963年のキング牧師の「私には夢がある」のスピーチで彼が目指したことが。彼はそのスピーチのなかで「幼いアフリカ系の少年少女たちが、幼いヨーロッパ系の少年少女たちと手に手をとって兄弟姉妹として歩ける日」という将来を見せている。

サンチェスは、慣れ親しんだ生活様式をあきらめる必要があることを人々に理解してもらうためには、よりよい将来を具体的に見せることが有効だと思いたった。そして現在の雇用者組合には、過去に何世代にもわたって続けてきたものとは異なる組織モデルを創造することさえ難しいだろうと考えた。

そのため彼は、組合のメンバーを、世界一の大理石産地であるイタリアのカラーラ地方にバスで連れていった。ほとんどの人が、スペインの外を旅するのは初めてだった。彼らは採石場や製造施設を見学し、自動かの進んだ機材に関心し、最新の技術に慣れ親しみ、規模の経済をうまく利用している同業者と話した。そうすることで、少しずつマーケティングやブランドの重要性を理解していった。そして変えるころには態度はすっかり変わっていた。慣れ親しんだ生活をあきらめるだけの価値のある、今までとは違ったよりよい生活を模索しようとし始めたのだ。自らの将来像を見いだせたのだ。

権限を持たないまま、込み入った問題に対してグループの注目を集めさせるのは、いつでも危険な取り組みである。しかしあおったりする形で状況を解釈するのではなく、目に映るままの共有できるデータをわかりやすく提示し、できるだけ自然な話し方をすることによって、その危険の度合いを弱めることはできる

 

 

<フォロワーがやるべきことを、引き受けない。リーダーに徹して、一人ですべてを抱え込もうとしない。>

いままでに犯した失敗を鑑みてほしい。問題を自分自身でひきうけてしまいたいという誘惑から逃れてその問題を自分の外に追いやることが、いかに難しいかを痛感するはずだ。人々はあなたにその問題の真ん中に入ってそれを直すこと、立ち上がって問題を解決することを期待する。結局のところ、それが権威のある立場にいる人間が支払っている対価なのだ。

そういった期待を満たしたとき、勇気に満ちた立派な人間だと言われるだろう。しかしそれはお世辞にすぎない。彼らの自分に対する期待や依存心に挑むことのほうが、よっぽど勇気が必要なのだ。

リーダーシップを発揮する一方で、生き残るためにはあなた自身が人々の欲求不満の対象となることを避ける必要がある。問題の外側に身を置くためにもっとも適した方法が、問題に対して責任を負うべき人々に対して、その問題に対処する作業を投げ返すことである。必要な作業を、それに直面しているグループのなか、あるいは間に戻し、自らが行う介入が明確かつ文脈を伴うものになるように工夫するべきである。

彼らを人々に貢献するように駆りたてるのは、皆から重要視されたいという思いであることに気をつけなければならない。安定した状態で、何かのためにあなたが地球に存在していると感じることは、存在意義と思いやりを育む。しかし、この渇望は容易に弱さの源にもなる。あなたがひどくだれかに必要とされたがる人だと想像してみてほしい。そして、問題を抱えた会社に、いくつか重要な処置を施してから入社したとしよう。人々は口々にあなたを賞賛し、無批判にあなたに依存してくる。あなたがちょうどそう望んだように!

問題は、自分がすべての解答を持っていて、すべての渇望をかなえられると信じ、彼らの誤解を受け入れてしまうことにある。もしだれもあなたに疑問を投げかけず、あなたが自己批判の能力を失ったら、無意識に視野の狭い人間が視野の狭い人々をリードするという、なれ合いの関係が生まれてしまう。

 

 

<非難を受け止める>

非難を受け止める能力を高めるには、経験を積む必要がある。あなたの周りが怒りや緊張で煮えたぎっているときでも、自分自身を慎重に冷静に保てるように何度も訓練しなければならない。

敵がトマトを顔に投げつけてくるようなとき、あなたの心は逆にすがすがしい気分にすらなり、自分の持つ考えは強められるものなのである。

 

 

<良き相談者を持つ>

古代ローマの皇帝は、自らが不死の存在ではないことを思い出させるための従者を、つねに自分の横に立たせていた。抑えの利かない政治的悪賢さ、残忍さのなかで権威をつかさどるものにとって、この従者の存在は、成功のためにはもちろん、日々を生き抜くためにも決定的に重要だった。これはあなたが困難を乗り越えて、望まれない変化を組織にもたらすときにもあてはまる。あなたのためにこの役割を果たしてくれる人間を、あなたの権威に影響を受けない人々の中から見つけることをぜひ勧めたい。

 

 

<リーダーは見捨てられ不安に敏感になると知る。そして性的失敗を起こしやすくなることを知る。>

人間は親密さを必要とする。感情的にも肉体的にも触れられ、抱きしめられることを望む。しかし、こうした渇望のせいでもろくなる人もいる。たとえば小さいころに両親を亡くすと、とくに孤独に対して敏感になる。そして孤独に近い物を感じたとたん、いやしを求めて走り回るようになる。あるいは拒絶されることに対して敏感になることもある。見捨てられたと思うたびに正気の判断ができなくなり、簡単に受け入れてくれる人のもとに走り、ときには性的な親密さを他の親密な関係と混同してしまうことすらある。

我々は、リーダーシップや権威が性的な欲望をそそるものであることを理解しておくべきだ。

クリントンの事例は珍しいことではない。権威をもった男性の多くが、高まる性的衝動を抑えるのに苦労する。フランクリン・ルーズベルト大統領、ジョン・F・ケネディ大統領、キング牧師、そして数多くの上院議員や下院議員が、ある種の性的逸脱のために自らの政治生命を危険にさらしたのは偶然ではない。

個人レベルのものも含めて、適応が求められる作業はすべて、自分たちの帰属心や忠誠の思いを吟味し、過去からよく学び、犠牲にできるものをあきらめる作業を必要とする。自分自身の誇りと忠誠心を保つためだけに、愛する相手との性行為をとおして、もろさと結合の喜びのなかで心性や輝きを経験する機会をあきらめてしまうのでは、あまりにも代償が高すぎる。

恋愛関係に活気をとりもどすのは、渇望をコントロールするための最も健全な方法ではないだろうか。

 

 

<適切な相談者を持つ。>

通常、相談役は、あなたの組織の外にいる人物である。あなたには実際に、協力者と相談役の両方が必要である。

相談役にあなたの話を聞いてくれるようにお願いすると、問題に対してよりも、あなた自身のことを気にかけてくれる。彼らは完全にあなたと利害が一致しているか、あるいはもっとよいケースでは、もともとあなたの問題にまったく関心がないかのどちらでしかありえない。

リーダーシップという困難な経験を経た、著者たちの知るほとんどの人が、何かを達成する際に、手助けをしてくれる相談役に頼っていたと語っている。危機的な財政状況から抜け出すために痛みを伴う選択をしたある知事は、近所の旧友と、夜な夜な、ビリヤードに興じていた。新たな競争環境に合わせて、会社の価値観と文化を変えようとしていたある女性会社員は、夜遅くに姉妹と長電話をしていた。組織の困難な変革を手動しようとしていたある官僚は、2週間の集中セミナーでであった遠くにいる同僚にEメールを送っていた。

困難な局面でだれか話し相手が必要なとき、信用のおける協力者を相談役にしたくなるものだが、それはやめたほうがいい。

相談者は、自分が取り組んでいる物事とは関係ない人のほうがいいんだよね。自分が取り組んでいることと関係している人とは、どうしても利害が発生してしまうから。

ストレスがたまり、時間に追われると、人は往々にして、聖域の源になるものを真っ先にあきらめてしまう。聖域を持つことをぜいたくだと思ってしまうのだ。それが実はいちばん必要であるにもかかわらず、人は職場でほんの少しの余分な時間を確保するために、ジムに行ったり近所を散策したりする時間をあきらめる。しかし明らかに、自己を確認し、健康を保つための場を生活のなかで最も必要とするのは、最も困難な仕事をしているときなのだ。

聖域とは、自分のストレスを解消する場のことです。

 

 

<リーダーシップの本質は、愛情だと知る。>

何が戦士に命をかけさせるのか。価値のあることではあるが、権威への服従ではない。大切なことではあるが、高い理想でもない。重要なのは明白ではあるが、生き残るためでもない。戦士は小隊の仲間を心配して塹壕から戦場へ這い出すのである。もし彼らが行かなければ、仲間を危険にさらすことになる。忠誠心や仲間を思う気持ちが彼らを駆りたて、前進させるのである。

これらのいずれの場合にも、またこの本で列記したほかのどの例においても、リーダーシップは、ともに暮らし、ともに働く人々に貢献するという一人の人間の願望によって駆りたてられたものだった。したがって、なぜリードするのか、という質問に対する答えは、単純かつ深淵である。人類の経験上、人生の意味の最も重要な源は、他人との絆を渇望することからきている。リーダーシップを発揮することは、人生において、友人や仲間に認められること、物質的な利益を得ること、身近な成功に喜ぶことといった日常の利害を超えた意味を与える。なぜなら実際にリーダーシップを発揮することによって、他人と意義ある形でつながることができるからである。その絆を表す言葉は、愛である。

ある企業のCEOが、新たな仕事、富、効率性、娯楽を生み出すと言った企業の成功を喜ぶとき、その意義は、顧客、従業員、株主の生活に変化をもたらしたことに見いだされる。そのような良い変化をもたらすことは、その根っこにおいて、愛情を満たすことにつながる。

ホワイトハウスを離れて20年以上たった現在、カーターは人々に対して、否定されえない貢献をしてきた。このことをホワイトハウスに残る彼の記録と比べることは完全に的外れになるだろう。奉仕を愛するという個人的な哲学にもとづいた、意味あることを新しく形づくるカーターの能力は、変化の真っただ中にいる人々にとって大きな刺激になることだろう。ホワイトハウスをわが物にすることにより魅力的にうつる役目はほとんどない。しかし華やかさに劣るべつの形の役目でも、それと同じくらい魅力的になりうる。

カーター元大統領は、大統領という華やかな仕事を終えた後も、地味ながらもコツコツと、慈善活動を続けていました。

 

 

<共感する能力が、優れたリーダーの重要な資質>

最も難しいリーダーシップの仕事は、あなた自身を無感覚にさせることなく、苦悩を経験できるようになることにある。神聖な心の美徳は、最も陰気な、最も困難な状況をとおしてさえ、無邪気さ、不思議に思う気持ち、疑問、好奇心、哀れみ、愛を維持する勇気を持つことにある。開かれた心で人々をリードすることは、あなたが最低の状態にあり、人々から見捨てられ、まったく無力になりながらも、無感覚にならず、反撃せず、防御もせず、人間のあらゆる感情に対して包容力を持ち続けることを意味する。

人をリードするとき、組織や地域社会に貢献したい、人々が重大な問題を解決することを助けたい、彼らの生活の質を高めたいと望むことから始める。その心は、まったく無邪気というわけにはいかないかもしれないが、人々に対して希望と懸念を持つことから始める。しかし、途中で、多くのひとびとがあなたの願望を、あまりにも非現実的だ、難しい、破壊的だとして拒絶すると、その熱い感情を維持することは難しくなる。

結果はゆっくりとやってくる。あなたは、意気消沈させるような現実に対してかたくなになる。あなたの心は閉じていってしまう。臓器の一つとして、健康な心臓は、毎秒、開閉している。

われわれはみな、限界に達する。ときにはイエスでさえも圧倒されたかもしれない。彼は疲れたことだろう。彼は後退したことだろう。ときどきイエスは、自分が治癒する人数を制限しようとした。

あなたは、自分に対して尊敬の念をもってこう言うことができる。

「今日は、これ以上もうできない。今日は、これ以上何もできない。昔の映画を見て、家族の写真を見て、ゆっくりして、人生の楽しい時間を思い出すんだ。そうした楽しい時間はいつもここにある。」

そうでなければ、自分を無感覚にするか、手に熱いたこをつくるか、または完全に無邪気さを失うことで、あなたは心を閉ざしてしまうだろう。

語源としては、英語の「哀れみ(conpassion)」という表現は、人の痛みと一緒にいる、ということを意味する。接頭語のcomは「一緒に」という意味であり、passionは「the passion of Jesus」という句にあるように、pain(痛み)と同じ語源を持つ。著者たちは、この本をとおして、変化の痛みに対して敬意の念を持つことの実践的で優れた理由を示してきた。

たとえば、「敵対者を近くに置け」というアドバイスは、多くの協力な戦略的かつ戦術的な議論にもとづいているが、それはまた、もっともはげしく戦う人が最も多くを失うという洞察にもよっている。したがって、敵対者には最大の時間、注意、配慮、技量を費やすのに値するのである。

リードするとき、あなたは、他の人の願望、渇望を背負わざるを得ない。あなたの心が閉ざされているのなら、裏にある人々の利害を見抜けない。そのうえ、人々が最も大切なものを維持し、新しい環境で成功する方法を学ぶときに、彼らが耐えなければならない損失を正しく認識できないだろう。

無邪気さや疑いと同じように、哀れみは成功と生存のために必要なものであるが、それは人生を全うするためにも必要である。哀れみは、あなたに何の資源も残されていないように思えるときでも、人々の痛みや損失を理解することを可能にする。

 

 

<謙虚でありつづける。>

ビジネスにおいて、自信は役にたつ。人々は決まって、自分の製品への自信を大げさに語る。政治の世界では、候補者は、予測できる権力よりはるかに確実な未来を約束する。あなたが自分の疑問を人々を共有するとき、彼らは短期的にはあなたの能力を疑い、あなたをあまり信頼しないかもしれない。しかし長期的には、あなたが正直に真実を語ったことで、あなたを信頼するようになる。

ベトナム戦争で中心的な役割を果たしたロバート・マクナマラのように、戦争時に自分が犯した過ちを再考し、疑念を提示するという特別な強い心を見せる人はわずかである。マクナマラが自らの判断の誤りを分析する思慮深い回顧録を書こうとした事実は、リーダーシップのリスクを引き受けているだれにとってもすばらしい刺激となる。何人の優秀な人物が、自らの回顧録について同じことを言えるだろうか。代わりに、自己正当化を積み重ね、間違ったプライドを守ってしまうだろう。そして、後世のための教訓は失われてしまう。

 

 

<最後に>

あなたにとって、そしてわれわれ全員にとって、リーダーシップの機会は毎日訪れる。しかし、自らを危険にさらすことは、難しい仕事である。その危険は本物であるためだ。しかし、その仕事は尊いものであり、その便益はあなたとその周囲の人にとって、計り知れないものである。

 世界はあなたを必要としている。

 

読んでくれてありがとさん!!