超訳「愛着障害」シリーズ。今回が最終回です。
今回もこの2冊の本の超訳です。
今回のテーマは「愛着障害の克服とその先にあるもの」
結論から言ってしまうと、愛着障害を克服するためにはしっかりとした「安全基地」を確保することが重要です。
そして、愛着障害を克服した人(さらに言えば克服中の人も)は、社会のなかで創造的な役割を担う才能があります。
今回もどうかお付き合いくださいな。
この記事の目次
なによりも、安全基地との愛着をしっかりとさせる
愛着の絆が形成されると、子どもは母親といることに安心感をもつだけでなく、母親がそばにいなくても次第に安心していられるようになる。安定した愛着がうまれることは、その子の安全が保証され、安心感が守られるということである。アメリカの発達心理学者メアリー・エインスワースは愛着のこうした働きを「安全基地」と表現した。
子どもは、愛着という安全基地がちゃんと確保されているとき、安心して外界を冒険しようという意欲をもつことができる。逆に、母親との愛着が不安定で、安全基地として十分機能していないとき、子どもは安心して探索行動を行うことができない。その結果、知的興味や対人関係においても、無関心になったり、消極的になったりしやすい。守られていると感じている子どもほど、好奇心旺盛で活発に行動し、何事にも積極的なのである。
しかし、何か特別な事態が生じて、ストレスや不安が高まったときには、愛着行動が活発になる。それが健全な状態であり、自分を守るために重要なことである。
愛着行動には、さまざまなヴァリエーションがある。幼い子どものように、愛着している人物と一緒にいようとしたり、体に触れようとしたりといった直接的な行動だけでなく、愛着する人物について考えたり、かつてその人物がいったことやしてくれたことをおもったりする精神的な活動も含まれる。
気持ちがまだ不安定で心細さを感じるうちは、安全基地に頻繁に頼り、その助けを必要とするが、気持ちが安定し、安心と自信を回復するにつれて、その回数も減り、次第に自力で行動することが増えていく。さらにもっと時間がたてば、心のなかで安全基地のことを思い描くだけで十分になり、実際にそこに頼ることもなくなっていくかもしれない。それこそが、究極の安全基地なのだ。
安全基地についてわかった?子どものころに得られなかった重要な他者との絆を回復させるために、信頼できる身近な人に安全基地になってもらって、愛着関係を築くことが愛着障害を克服するためには大切なことなんだよね。
愛着障害を克服する流れとして本のなかで紹介されてあったのは、
①愛着障害について理解があったり治療経験があるカウンセラーなどに、愛着障害者にとっての臨時的な安全基地になってもらう。
②愛着障害者にとっての重要な他者(多くの場合、家族)に、安全基地になってもらうべく、話をする。安全基地に求められる態度や姿勢などの説明も行う。
③重要な他者に安全基地になってもらい、愛着障害者との愛着関係の構築を行う
というものでした。
安全基地の条件
1 安全感の保証
2 共感性
3 応答性
4 安定性
5 なんでも話せること
安全基地について詳しく知りたい子は、本を読むことをおすすめします。このブログでは、安全基地に求められる態度などは、ここでとどめるけれど、上の五つの条件のうち、五番目の「なんでも話せること」を達成できていたら、安全基地になれてると思うよ。
愛着アプローチは、本人の安全基地を強化することで、本人の中に備わっている回復しようとする力を活性化させる方法だとも言える。
愛着が安定化するかどうかは、安全基地となる存在に恵まれ、それがうまく機能しているかどうかだ。
支援者の共感による本人の愛着の安定があってこそ、味わった痛みや寂しさ、怖さといった気持ちとともに、自分の身に起きた出来事を、客観的に振り返ることができ、それを乗り越えやすくさせるのである。
筆者の実感としては、愛着の安定化、言い換えると、安全基地の機能を高めることは、愛着との関連が深い問題だけでなく、たいていの問題の改善に有効だという気がしている。
それは、あなたが幼い子どもだったときのことを考えてみれば当然のことかもしれない。
あなたがつまづいて足をケガしようが、意地悪な友だちに泣かされようが、熱がでて体調が悪かろうが、母親が優しく抱っこをしてなぐさめてくれることは、まるで万能薬のように何にでも効果があったはずだから。
逆に言えば、薬や包帯をどっさりもらったところで、優しく世話をしてくれる人がいなければ、元気になる意味さえないに違いない。
愛着障害を克服するためには、なによりも安全基地との愛着関係を構築することが重要です。ただ、それだけでは十分ではありません。ここから先は、愛着障害を克服するうえで、安全基地を確保すること以外にも重要なことを書いていくね。
満たされなかった子ども心を満たす。
愛着障害を抱えた人は、回復していく過程で、子ども心を取り戻すという段階を経験する。回復の過程で、子ども返りをしているように甘えたり、子どもがするような遊びや空想に夢中になったりすることもある。
漱石は精神の不安定な時期によく絵を描いた。そのできばえははっきりいって稚拙(ちせつ)であり、あれほどの才筆をふるった文豪も、画才に恵まれていなかったことを明かしている。それでもとても熱心に描いたのは、それが心の安定に役立っていたからだ。小説を書くことによっても、かいしょうしきれない何かを、非言語的な表現行為を行うことで解消しようとしたのである。
過去の体験を言葉にする
愛着の傷を修復するためには、安全基地を確保し、子どものころからの不足を取り戻したり、周囲に受け入れられるといった共感的、体験的なプロセスとは別に、もう一つ重要なプロセスがある。
それは、過去の体験を言葉にすることである。
最初は、断片的にしか思い出せないが、それを少しずつ語るのを、支える側は共感しながら受け止めることである。嫌な出来事の記憶をたどりながら、そのときどんな思いであったかを、その人の言葉で語ってもらうことが重要である。たずねられても、すぐには言葉にならないことが多い。なぜなら、まだ一度も言語化されることなく、ただ傷ついた思いだけが、悲しみや怒りといった強い情動とともに渾然一体(こんぜんいったい)となって、心の中に膿(うみ)のつまった袋のような病巣を作っているからである。
必要なのは、その膿を外へだすことであり、そのためには、そのとき味わった思いを、ネガティブな情動とともに言葉にして吐き出す必要がある。言語化する過程において、最初のうちは「なんとも思っていない」「気にしていない」といった、問題の所在を否認する場合もある。その段階を超えると、次は、否定的な感情ばかりが語られる段階に移行する。この段階では、傷つけられた怒りや悲しみを、うらみつらみをこめてたたきつけるように語りつづける。それは、傷が深ければ深いほど、傷を与えられた期間が長ければ長いほど、長期間続くことになる。その間、執拗(しつよう)なまでに否定的な感情が語られるが、そうすることが修復には必要なのである。
根っこから現在の行動をとらえることで、より深い洞察が得られるとともに、呪縛がとけていくことにつながる。実際、過去の体験と現在の生活との思いがけないつながりを知って、感極まり涙を流す人も多い。
つまり、愛着の傷となっている体験にまでさかのぼって、現在の行動を理解したとき、人は心を強く動かされ、考え方や行動の修正もおきやすいのである。
過去の傷と向かい合う段階を徹底的に進めていくと、ある時期から変化が見られるようになる。否定的なことばかりを語りつくした後で、楽しかった経験や親が自分のために骨を折ってくれたことをふと思い出して、「そういえばこんなことがあった」と語ったりするようになるのだ。
そのとき、親のことを憎んでいるのではなく、愛しているということに気づくこともある。親を愛し、求めているからこそ、憎む気持ちが生まれていたのだということを受け入れられるようになるのだ。そして、悲しみと怒りの物語から、愛と許し、そして希望の物語へと転化され、それを一緒に受け止めてくれる存在と共有されることによって、その人を縛り付けていたとらわれは次第に解消され、もっと現実的な力に変わっていく。
過去の体験を言葉にすることで、客観的な視点をもつことができます。
もう一つ、見落としがちだけれど上の文章で重要な点は、「それ(過去の体験)を一緒に受け止めてくれる存在と共有」することです。共有して、受け止めてもらって、共感してもらうことです。
心の奥底にしまいこんでいた過去の体験を受け止めてもらって、それにともなう痛みや悲しみに共感してもらうことで、自分の過去の体験や痛みを自分のなかで受け止めることができると思うんだよね。
自分に自信をもつことができると思うんだよね。
安全基地となってくれるサポート役になかなか出会い得ないという場合には、他の方法で安全基地の代わりを求めることも必要になる。
そうしたものとして有用なものの一つは、日記や文章を書くことである。
安全基地とは、自分が求めたときにありのままに受け止めてくれる存在である。「書く」という行為は、黙って話しを聞いてくれる話し相手に似ている。ありのままの思いを表現し、書きだすことは、吐き出すことによるすっきりとした感覚とともに、自分を客観視することにもなる。
ドフトエフスキーやヘルマン・ヘッセのように、書くという行為によって、自らの愛着障害と戦った人もいた。彼らは書くことによって自分の味方を手に入れ、最終的に愛着障害との戦いにおいても勝利をおさめた。
ヘルマンヘッセのほうはよく知らないけれど、ドフトエフスキーは、「書く」ことで作家という地位を得ることができました。紆余曲折(うよきょくせつ)あったけれども、情緒が安定している奥さんと結婚することができて、彼にとっての安全基地を得ることに成功したんだよね。
しっかりとした安全基地を手に入れることは、彼の創作活動をより活発にすることにつながりました。
本の中で紹介されているけれど、偉大な作家と呼ばれている人たちのなかには、愛着障害を抱えていた人たちが多いです。自分のなかの、うまく言葉にできないドロドロとしたものを、書いて言葉にすることで、愛着障害を克服しようとしたんだと思うんだよね。
自分自身が安全基地になる
愛着障害の人は、いわば親にうまく育ててもらえなかった人である。それゆえに、愛着障害を克服するには、だれかに親代わりになってもらい、育てなおしてもらうということになるのだが、実はもう一つ方法がある。自分自身が安全基地となって、後輩や若い人たちを育てるという方法である。
愛着とは、相互的な現象である。愛着を活性化し、安定感を高めようとするならば、相手の冷たさをなじるよりも、相手に優しくすることに努めたほうがいい。そうすれば、相手も心に優しさをとりもどすことができる。
自分が相手にとっての安全基地に少しでも近づけば、相互性の原理によって、相手もあなたの安全基地になろうとする。そして優しさを与え合う関係によって、どちらもが恵みを受け取ることができる。愛着が安定し、愛着の傷が修復され、愛着障害の克服にもつながっていく。
自分自身が安全基地になろうとすることで、重要な他者を安定化させることにつながります。そして、相手を安定化させることは、自分自身を安定化させることにつながるんだよね。
多くの場合、人に対する言葉がけは、自分自身にも使っていることが多いとブイチは考えています。
例えば、失敗した友だちに「ドンマイ」っていっている子は、自分が失敗したときに自分自身にも「ドンマイ」っていう言葉を自然とかけていると思うんだよね。「失敗しやがって!!ふさげるな!!クズ!!」っていう言葉がけをしていないと思うんだよね。
つまり、自分自身が安全基地となって、周囲の人を安定させようとする言葉がけを普段から行っていたら、いざ自分が不安定になったときに、自然と自分を安定化させるような言葉を自分でかけられると思うんだよね。
スキンシップをとる
彼女の治療は、子どもを抱いて優しくなでながら、だんだんよくなっていることを語り続けるという簡素なものだった。そして子どもが希望をもてるように、親にも決して否定的なことは言わず、前向きなことだけを話すように指導した。
抱擁や愛撫は、まさに愛着システムであるオキシトシン系を活性化する。手で触れるという意味でまさにそれは手当てである。
抱っこはスキンシップという面と、「支え、守る」という面が合わさった行動である。よく抱っこされた子は、甘えん坊で一見弱弱しく見えて、実のところ、強くたくましく育つ。その影響は、大人になってからも持続するほどである。
親や養育者と和解する
過去の傷と向かい合う段階を徹底的に進めていくと、ある時期から変化が見られるようになる。否定的なことばかりを語りつくした後で、楽しかった経験や親が自分のために骨を折ってくれたことをふと思い出して、「そういえばこんなことがあった」と語ったりするようになるのだ。
そのとき、親のことを憎んでいるのではなく、愛しているということに気づくこともある。親を愛し、求めているからこそ、憎む気持ちが生まれていたのだということを受け入れられるようになるのだ。そして、悲しみと怒りの物語から、愛と許し、そして希望の物語へと転化され、それを一緒に受け止めてくれる存在と共有されることによって、その人を縛り付けていたとらわれは次第に解消され、もっと現実的な力に変わっていく。
自分から親を傷つけてきたことを謝りたいと思うようになったり、ここまで育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えようとしたり、和解しようとすることも多い。
親と和解できたとき、不思議と自分自身とも和解することができる。それまで、自分のことを過度に否定的に考えていたのが、自分を受け入れ、自信をもつことができるようになるのである。
親に対して否定的な見方や感情をもつことは、親が自分に対して否定的であったということの反映であり、それは自ら自分を否定するということに結びついている。それは愛着を介した情動と結びついた問題なので、より強烈な支配力を及ぼしていたのである。
愛着障害を克服した先にあるもの
芸術家(表現者)
愛着障害についてのケースをたどっていくと、すぐに気づかされるのは、作家や文学者に愛着障害を抱えた人が異様なほどに多いということである。夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫という日本文学を代表する面々が、一様に愛着の問題を抱えていたというのは、驚くべきことである。ある意味、日本の近代文学は、見捨てられた子どもたちの悲しみを原動力にして生み出されたともいえるほどである。
文学以外にも、芸術の分野で名を成した人には、愛着障害を抱えていたというケースが非常に多い。
たぶん、書かざるを得なかったと思うんだよね。
言葉にできない自分の悲しみや苦しみを克服するために、言葉にしようとしたんだと思うんだよね。
文字にして、表にだすことで、自分の悲しみや苦しみを理解しようとしたんだと思うんだよね。
表現の仕方は人によって違うけれどさ。文章で書く人もいれば、絵によって表現する人もいれば、音楽によって表現する人もいると思うけれど。
卓越した個人
芸術の分野以外でも、政治や宗教、ビジネスや社会活動の領域で、偉大な働きや貢献をする人は、しばしば愛着障害を抱え、それを乗り越えてきたというケースが少なくない。愛着障害の人には、自己への徹底的なこだわりを持つ点と、自己を超越しようとする点がある。
愛着障害を抱えている人は、個人主義の人が多いです。愛着ある絆をつくることがうまくできないために、自分にこだわって、自分自身の価値を向上させることにしのぎをけずることで、周囲から受け入れられたり、認められようとした人もいると思うんだよね。また、親から受け入れられた経験の不足から来る自信のなさを克服するためにも、自分に自信をつけるために自分の価値を向上させようとがんばった人もいると思うんだよね。
なので、愛着障害の人は「卓越した」なにかをもっている人が多いと思うんだよね。技術だったり、知識だったり。
新しいものを生み出す創造者
彼らの行動や思考が独創性や革新性をもたらすことは、彼らが「親という安全基地をもたない」ということと深く関係しているように思える。
親という安全基地はしばしばその人をしばりつけてしまう。そこが安全であるがゆえに、あるいは親に愛着するがゆえに、親の期待や庇護(ひご)という「限界」にとらわれてしまうということも多い。そして、親が設定した「常識」や「価値観」にがんじがらめにされ、常識的な限界を超えにくいのである。
ところが、愛着が不完全で安全基地をもたない場合には、そこに縛られることがないので、まったく常識を超えた目で社会を見たり、ものごとを感じたり、発想することができやすい。これが独創性という点で、大きな強みをうむのである。
創造とはある意味、旧来の価値の破壊である。破壊的な力が生まれるためには、旧来の存在と安定的につながりすぎることは、むしろマイナスなのである。
創造するものにとって愛着障害はほとんど不可欠な原動力であり、愛着障害をもたないものが偉大な創造を行った例は、むしろ稀と言っても差し支えないだろう。技術や伝統を継承し、発展させることはできても、そこから真の創造は産まれにくいのである。なぜなら、破壊的な創造など、安定した愛着に恵まれた人にとって、命をかけるまでには必要性をもたないからである。
癒す人
愛着障害という根源的な苦悩を乗り越えた存在は、人を癒し、救う不思議な力を持っているのかもしれない。エリクソンの場合もそうだが、必ずしも「克服した」という完了形である必要はない。克服の途上にあるがゆえに、いっそう救う力をもつということもあるのではないか。
もっといえば、その人自身、自らの愛着の傷を癒すためにも、人を癒すことが必要なのだ。その過程を通じて、癒す側も癒される側も、愛着障害にうちかっていけるのだ。なぜなら、愛着障害とは、人が人をいたわり、世話をし、愛情をかけることにおけるつまづきだからだ。
最後に
愛着障害を克服した人は、特有の輝きを放っている。その輝きは、悲しみを愛する喜びに変えてきたゆえの輝きであり強さに思える。そこに至るまでは容易な道のりではないが、試みる価値の十分ある道のりなのである。
読んでくれてありがとさん!!