超訳「愛着障害」シリーズの3回目です。今回は、愛着障害の人がしがちな行動について書くね。下にいろいろと書いたけれど、すべての行動傾向が、他人と適切な人間関係を結ぶことへの難しさにつながっていました。
愛着障害の人の行動傾向を書いていったらたくさんになったので、わかりやすくするために、基本となる特徴を青いリボンの枠線で示しました。
今回も、以下の二つの本の超訳を行います。
この記事の目次
ものごとを全か無かという二分法的に、極端にとらえやすい
全か無かの認知とも関係しているが、愛着障害の人は、相手からどんなに恩恵を施されても、一度不快なことをされれば、それ以外のことは帳消しになって、相手のことを全否定してしまいやすい。
人を信頼するよりは信頼しないほうが傷つかないと考えてしまうので、なにか不快なことがあれば、信頼しないほうをすぐに選びがちなのかもしれないね。
全肯定か全否定しやすい傾向は、相手に対して理想をおしつけがちです。そして、理想から少しでも違った点を見つけてしまうと、今度は全否定してしまいがちです。
つまり、非現実的な理想主義、完ぺき主義になりやすいんだよね。
親から愛されなかったという愛情に対する飢えから、理想の親や、自分を受け止めてくれる理想のパートナーを求めがちなんだよね。
否定的にものごとや自分自身、他人をとらえやすい
愛着障害がある人の人生を困難なものにする重要な要因の一つに、否定的認知にとらわれやすいことがあげられる。愛着障害の人は、親からの肯定的な評価を受けられなかったことが多く、それが他の人との関係にも尾をひき、自分に対して、あるいは周囲の人に対して、否定的な評価を抱きがちである。そしてこのように対人関係がうまくいかないことが、自分を生かせないことにつながる。
「否定的認知にとらわれやすいこと」をまず理解していると、この後にあるいろいろな傾向について理解しやすくなると思います。
自分に自信をもつことが難しい
愛着障害の人は、親の期待に応えられない自分をひどく否定したり、責めがちである。親を否定している一方で、親から認められない自分を、ダメな人間のように考えてしまう傾向が見られやすい。
うつとか神経症になりやすい
怒りが自分に向かうケースは、ストレスが内面に向かう。その典型的なものはうつや不安である。自分を責めて落ち込んだり、悪い結果を予想して不安になったりするのである。感情をおさえがちな我慢強い人に、こうした反応が起きやすいといえるだろう。
愛着は心理的のみならず、生理的な機能の発達にも関与している。そのため、愛着障害の人はしばしば神経過敏で、自律神経系のトラブルにも見舞われやすい。
夏目漱石はなぜ晩年まで神経衰弱や胃潰瘍に苦しめられたのか。太宰治はなぜ小学生のころから不眠症に苦しんだ末、薬物依存症になり、自殺にまで追い詰められたのか。
怒りを爆発させやすい
傷にとらわれてしまうのは、愛着に傷を抱えた人の特性とも言える。しかも、愛着の傷はもう一つの特性を生みやすい。それは、過剰な反応をしやすいということである。思い込みが激しいところもある。
そのため愛着障害の人は、相手の意図を過剰に解釈して傷ついてしまったり、相手の感情に巻き込まれやすかったりする。
相手を過去に同じような振る舞いをした人(多くの場合、自分を傷つけた親や養育者)と同一視してしまう結果、短絡的に自分に対する迫害者とみなしたりする。ありのままの相手ではなく、自分の記憶のなかの存在に重ねてしまい、そこからくる思い込みによって相手を即断してしまう。
例えば転んですり傷をつくったとします。その傷が治っていないまんまだと、その傷になにか刺激が与えられたら、強い痛みを感じてしまうよね。
愛着障害の人は、子どものころの傷を治せないままかかえてしまっているので、ささいな刺激でも強い痛みを感じてしまいがちなんだよね。そして、過剰に反応しがちなんだよね。
共感性の欠如、失感情症になりやすい
愛着障害の人は、相手の気持ちに対する共感性が未発達な傾向を示す。相手の立場に立って相手のことを思いやるということが苦手になりやすいのである。それは、幼いころに共感をもって接してもらうことが不足していたことと関係しているのだろう。
危険をおかすことに無頓着になりやすい
自分の感情に対して麻痺しがちな傾向は、危険に対する無頓着という形でも見られる。ヘミングウェイは取材で、また義勇軍として戦場に乗り込み、きわめて無謀なことを行った。砲弾が雨のように降ってくる中で、平然と食事をしたこともある。一緒にいた兵士たちは地下壕などに逃げ込んだというのにである。彼らの目にヘミングウェイの行為は、勇敢というよりも「異常」にうつった。
演技しやすい
失感情症は、他人と喜びや悲しみを共有することの困難にも通じる。共感したくても、それを実感できないから、共感しようがないのである。なので自分の感情を抑圧してきて、自分の感情を感じることができない愛着障害の人が他人とコミュニケーションをするうえでよりどころとするのは、演じるということである。
個人主義になりやすい
愛着が安定している人は、パートナーの命を救うためなら、自分が犠牲になってもいいと答える傾向が見られる。しかし愛着障害の人は、他人の命を救うために、自分が犠牲になることを嫌がったり、ためらったりする気持ちが強く見られた。そのかわり、自分の価値観や信念のためになら死んでもいいと答えた人が多かった。
愛着障害の人は、親に甘えようとして拒絶されたり、かまってもらえなかった子どものころの辛い記憶を抑圧し、「そんなものは自分には必要ない」と思うことで自分を守ってきた。その結果、人に頼らず、自分の力だけをあてにし、独立独歩型、一匹狼型のライフスタイルをとりやすい。親密な関係を避けたり、人を信頼しなかったり、権力や業績や金の力といったものを信奉したりすることで、自分の価値を守ろうとするのである。
自分で自分を愛するしかなかったんだよね。周囲の誰とも愛着のある絆を結ぶことができないのであれば、自分自身と愛着ある絆を結ぶしかなかったんだよね。自分の身を自分で守り、自分で自分を支え、愛するしかなかったんだよね。辛い環境を生き抜くために。
特に集団意識が強い日本では個人主義は良くないことだとされがちだけれど、個人主義は別に悪いことではありません。個人主義にしろ、そうでないにしろ、良い悪いはありません。違いがあるだけなんだよね。
頑固で意地っ張りになりやすい
愛着障害の人の重要な特徴の一つは、過度に意地をはってしまうことである。それが自分にとって不利益になるといわかっていても、どうしてもそれをとどめられないということが多い。
不安定な愛着環境で育つと、子どもは自分にこだわることで、自分を保とうとする。親が情緒不安定な場合、子どもに対して無理強いや支配的な接し方になりがちなため、子どもも同じようなスタイルを身につけやすい。
人に支配される恐怖があるので、自分が折れたり、人に負けることに強い恐怖を感じるんだよね。つまり、異常なほどの負けず嫌いになりやすいんだよね。
また、愛着障害の人は自分の心が傷ついてもなかなか回復できないで、傷をひきずりやすいです。人に負けたりすることによって感じる痛みに耐えるのが難しいことも、意地っぱりになってしまう原因の中にあると思うんだよね。
ただ、この傾向は良い目的のために使えば、意志の強さとして昇華(しょうか)することもできると思うんだよね。
人と適切な人間関係を結ぶことが難しい
愛着障害における対人関係の特性は、相手との距離が近すぎるか、遠すぎるか、どちらかに偏ってしまい、ほどよい距離がとれないということである。ひどくよそよそしく、何年たっても距離が少しも縮まらないという場合と、あっという間に親密な関係になるが、そのうち近すぎる距離につかれて、関係が終わってしまうという場合もある。
相手との距離を調節する土台となっているのが、その人の愛着スタイル、つまり、親や養育者との関係性である。親や養育者との傷ついた関係が今も生々しく心をとらえており、傷を受け止め、乗り越えるということがまだできていない。その結果、親以外の対人関係においても不安定になりやすい。
今まで書いたすべての傾向は、愛着障害の人が人と適切な人間関係を結ぶことに難しさがあることを示しています。なので愛着障害の人は、人間関係に振り回されがちかもしれないね。
人を支配したり、操作する傾向がある。
支配的コントロールは、暴力や心理的優越によって、相手を思い通りに動かそうとするものである。従属的コントロールは、相手の意に従い面従腹背することで、相手の愛顧を得ようとする戦略である。一見するとコントロールとは正反対に思えるが、相手にあわせ、相手の気に入るように振舞ったり、相手の支えになったりすることで、相手の気分や愛情を意のままにしようとする点でコントロールと言える。
操作的コントロールは、支配的コントロールと従属的コントロールが、より巧妙に組み合わさったもので、相手に強い心理的衝撃を与え、同情や共感や反発を引き起こすことによって、相手を思い通りに動かそうとするものである。
人を支配したり操作しようとすることで、自分と人とのつながりをつくろうとするんだよね。人間関係が上手にできないので、支配することでその不足分を埋め合わせようとしてしまうんだよね。また、人から支配されたり操作されたりすることに対する恐怖心があるので、先に人を操作することで、人から操作されることを防ごうとしているのかもしれないね。
母親に支配されて育った人の場合、母親には従順だが、思い通りになる存在を見つけると、その人を支配するという傾向がよく見られる。それによって心のバランスをとっているとも言える。誰に対しても従属的にふるまえば、やがて行きづまりを生んでしまうからだ。
道化やお笑い担当を演じる傾向がある
不安型愛着の人は、しばしばオッチョコチョイや道化役を演じることで、周囲から「面白い人」「楽しい人」として受け入れられようとする。こうした傾向は、子ども時代に強く見られるが、思春期には後退して、あまり目立たなくなる一方で、生涯(しょうがい)その傾向がのこる人もいる。
道化役を演じてしまう人は自己卑下的な傾向が強く、根底には強い自己否定感がある。自分を粗末に扱うことで、相手に気を許してもらおうとするのである。
子どもの健全な自立を邪魔しがち
愛着障害の人は、子どもとの関係が安定した絆として維持されにくく、わが子でありながら疎遠になってしまったり、憎しみある関係になることもある。逆に、自分の世話係や相談相手にすることで子どもに依存し、孤独や満たされない思いを紛らわそうとするケースもある。そうした場合、子どもは親に縛られ、自立が妨げられてしまう。
流浪の人になりやすい
愛着障害の人のなかには、家出や放浪を繰り返す人がいる。度重なる引越し、旅といったものと縁が深いケースも少なくない。幼い子どものころは家庭に居心地の悪さを感じても、周囲の大人の庇護(ひご)にすがって生きるしかないのだが、青年となって自分の考えが明確になり、行動力も培われてくると、もはやその場所にとどまっていられなくなる。そこは自分のいるべき場所ではないと感じ始め、漠然とした救いを求めて自分を縛る現実から脱出しようとする。自分を受け止め、癒してくれる存在を求めようとする。
例えばタンポポの種。風がふいたら飛ぶけれど、地面におちたら種から根っこを生やして、地面に根付くよね。
だけど人と絆を結ぶことに難しさを感じてしまう愛着障害の人は、根っこを生やすことが難しいんだよね。
どこか新しい場所にいっても、そこにいる人たちと愛着ある絆や関係を結ぶことが難しいんだよね。
なので、自分の居場所を求めて、愛着ある絆をもとめて、流浪してしまうこともあると思うんだよね。
最終回の次回は、愛着障害の克服とその先にあるものについて書くね。来週の週末に発信します。
次回も読んでね!!読んでくれてありがとさん!!