人はそれぞれ自分の価値基準を持っています。

たとえば、リンゴをおいしいと感じる人もいれば、おいしくないと感じる人もいます。

相手の価値基準を無視して、「リンゴはおいしいものだ。だから食べろ」と言って一方的に自分の価値基準を押し付けると、相手は悲しい気持ちになったり、怒ってしまったりするよね。

自分の価値観を無視されてさ。

一方的に自分の価値観を相手に押し付けたら、いい関係を築くことが難しくなるよね。

自分の価値観を押し付ける人は、人の価値観を受け入れようとしません。一つの価値基準だけで生きていきます。

けど、一つだけの価値基準で生きていたら、ものごとをいい、悪いの二つで分けてしまいがちです。完全主義になって、うつになってしまうかもしれません。

価値基準が一つだけでなくて、「あれもいい」「これもいい」というように、いろいろな価値基準を持っている場合は違います。

ものごとをいい悪いの二つでわけるのではなくて、いろいろな見方をすることができるんだよね。いろいろな素晴らしさや価値を見つけることができるんだよね。

そうしたら、完璧主義になりにくいので、うつにもなりにくいです。

人に共感する態度をもてたら、疲れにくい心を持ちやすくなるんだよね。

自分の怒りや悲しみを他の人に共感してもらったら、人は心を落ち着けることができます。

逆に自分の気持ちを受け止めてもらえなかったら、自分の気持ちを落ち着けることが難しいので、いつも不安を感じがちです。

小さい子どもだって、悲しくて泣きわめいていても、お母さんに話を聞いてもらって、ぎゅってハグしてもらえたら落ち着くよね。

そして人に対して共感をすることができる人は、逆に自分の気持ちが落ち着かないときに、逆に共感をしてもらうことができます。

ほほえんだら、ほほえみ返してもらえるようにね。

共感できる人は不安な心を落ち着けやすいんだよね。

怒りとか悲しみとか、ネガティブな感情を人は敬遠しがちです。あまりそういう感情を表にだすことはよくないことだと考えられがちです。

そしてそういう考えが行き過ぎると、恥とか罪の意識になります。

たとえば、人前で泣くことは恥ずかしいことだって言われて育った子は、泣きたくなったときに泣けないし、そういう悲しみを感じている自分を悪い子のように感じがちです。

不当な価値基準を押し付けられて、それに自分を押し込めて、生きづらさを感じてしまうんだよね。基準にそった行動を行えなかったら、悪い子というふうに自分をとらえがちなんだよね。

不当な恥の意識や、罪の意識を感じてしまうんだよね。

でも、一つだけの価値観に縛られないで、いろいろな価値観を受け入れられるようになると、一つだけの不当な価値観に自分をおしこまなくてすむので、生きやすくなると思うんだよね。

読んでくれてありがとさん!!

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