「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
ブイチの好きな言葉の一つです。
梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」という小説のなかの言葉だそうです。
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ブイチが違和感を感じている言葉に「石の上にも3年」という言葉があります。
3年石の上にいて、なにがいいのでしょうか?
たとえば、学校で毎日毎日いじめられている子がいるとします。
陰湿ないじめを毎日我慢して、学校に行くことが辛くて辛くてたまらなくて、自殺も考えているとします。
彼は3年間学校に通って、なにが得られるのでしょうか?歪んだ性格でしょうか?学歴でしょうか?
それは少年期の貴重な3年を犠牲にするほど価値があるものでしょうか?
転校したり、通信制の学校に通って手に入れる学歴ではいけないのでしょうか?
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「篭城(ろうじょう)」という言葉を知っているかな?
敵の国に攻められたときに、城のなかにこもって、被害がでることを防ぐ戦い方のことです。
この篭城戦法をとるときには、条件があります。
それは「城のなかにいることで、状況がよくなる希望がある」ことです。
援軍が来るとか、相手が退却する見込みがあるとかね。
逆に言えば、そういった希望がないのであれば、この戦い方をとるべきではありません。
篭城をすると、時間がたつにつれて、城の中にこもっているほうが不利になります。
食べるものがなくなってくるので、食べ物の奪い合いがおこって、城の中が地獄になるんだよね。
城の外では相手が取り囲んでいるので、いまさら外に討ってでても勝ち目はありません。
降参するにしても、攻められたときにすぐに降参するならまだしも、何ヶ月も篭城して抵抗したあとでの降参だと、敵もフラストレーションがたまっているので有利な条件で交渉できません。
それだったら、城を囲まれる前に、勇気を出して外で戦ったほうがまだいいと思うんだよね。
織田信長さんだって、今川さんに攻められたときに、城にひきこもらないで、勇気を出して桶狭間で戦ったから勝てたんでしょ?
きっと、城にひきこもって相手が帰るのを祈っていたら、結果は違っていたと思います。
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つまり、大事なのは「希望があるかどうか」なんだよね。
ブイチは「忍耐」という言葉と「無意味な我慢」という言葉を使いわけるようにしています。
希望のために今を耐え忍ぶことを忍耐。
希望はないけれど、環境を変える勇気がないために、ただ我慢をすることを「無意味な我慢」とよんでいます。
同じ耐えることでも、その先に希望があるかどうかで、意味が違ってくるんだよね。
君が今、なにかに耐えているとしたら、なんのために耐えているのか、考えてほしいんだ。
耐えているその先には希望があるのでしょうか?
その希望を手にいれるためにはどのくらいの期間、耐えなければならないのでしょうか?
その希望は、逃げないで長い間耐えるに値する希望でしょうか?
読んでくれてありがとさん。
答えです。探してくれてありがとさん!!