一生懸命って言葉があるよね。命をかけて一つに生きるって意味だよね。
でさ、最近気づいたんだけどさ、考えてみたら当たり前なんだけどさ、人って自分のためには命がけになれないよね。
だって、自分のために生きる人にとっては、自分の命が一番大切だものね。自分の命が他のすべてに比べて一番大切なんだから、自分の命を失ってでもなにかのために頑張るっっていうふうに考えることはできないよね。むしろ、他のすべてを犠牲にしてでも自分の命を守るっていうふうに考えるんじゃないかな。
自分の命よりも大切なものを持っている人の場合は違います。家族だったり、信条だったり、人によって違うだろうけども。
そういう人にとっては自分の命は二の次だから、自分の命を失ってでも、自分の命より大切なもののために頑張ろうって気持ちになれます。命がけで戦うことができます。
つまり、自分の命よりも大事なものを持っている人だけが、一生懸命になることができるんだよね。
つまり、自分の命よりも大事なものを持っている人は、自分のためだけに生きている人よりも、強いんだよね。命がけで戦うことができるから。
愛情を賞賛する歌がちまたにあふれています。いわゆるラブソングです。
「愛は無敵」とか「最後に愛は勝つ」とか、そんな歌詞を聞いてもロイチは心のなかで「本当かよ?」って思っていました。そういったフレーズは歌の世界だけの話で、現実社会では通用する考えでは必ずしもないのではないかと考えていました。
ただ、最近、やっぱり愛は勝つんじゃないかと思いました。歌の中だけの話ではなく、現実の世界にも十分通用する考えなのではないかと。
理由は上に書いたとおりなんだけどさ、心の底から愛するものを持っている人は強いんだよね。命がけで戦うことができるから。
いや、自分のためだけに生きている人が弱いわけではないよ。
「自分のために」というエゴイズムでゴリゴリと実績を積み重ねるタイプの人もロイチは知っています。実績を積み重ねて、多くの人から賞賛されてチヤホヤされる人もいると思います。
でも、彼らにとってはそこが限界だと思うんだよね。「自分」がチヤホヤされたら、それ以上戦うことはできないと思うんだよね。むしろ、実績を積み重ねて十分成功してチヤホヤされた後は、不安に襲われるのかもしれません。自分をチヤホヤしてくれている人はいつか離れるのではないかと。人を惹きつけつづけるために、成功し続けるしかないという変なプレッシャーを感じて、不安の多い時期をすごすかもしれません。チヤホヤされてもチヤホヤされても、人が離れていくのではないかという不安が離れないと思うんだよね。
自分が一番大切な人にとっては、自分が人からチヤホヤされたいっていう承認欲求を超えることはできないと思うんだよね。
心の底から愛するものがある人は違います。自分がチヤホヤされることよりも大事なものがあるから。自分がチヤホヤされようと、されまいと、気にしすぎることはありません。
その人にとって戦うモチベーションは自分がチヤホヤされることではなく、愛情だから。愛するものの幸せだから。他人の自分に対する態度に振り回されすぎたり、頑張るモチベーションが途切れることはありません。
さらに言えば、そういった、自分を超えたものを愛する行動が、自分への愛情や誇りにつながると思うんだよね。
読んでくれてありがとさん!!